Lance precure.
年(昭和14年) 新潟県柏崎市に生まれる。
本名 坂井 勝利
幼少期より、絵を描く事に没頭し
叔父の日本画家、坂井 草子に師事をしながら画家への志しを固め
18才で上京、中央美術学園 美術講座 受講。
肺結核を患い療養の為、柏崎へ一時帰郷。
入院生活ながらこの時、のちに妻となるハルヨと出会う。
病気完治後、東京へ戻り仕事の傍ら絵を描き続ける中、
柏崎から追って上京してきたハルヨと再会、ほどなくして結婚。
粟津画廊へ入り、取引のある高名な日本画家の所をまわり
絵の具溶きなど、制作雑事を手伝いながら自らの画技、見識を
高めていく。
しかし、そこで目の当たりにした画壇の世界にもどかしさを感じ、
何気なく出版社に送った一枚の絵が風俗雑誌編集者の眼に止まり
スカウトされ、出版挿絵に着手する。
画廊への配慮から本名は使えないので、夫人ハルヨが美容師で
背が小さかったためそれにちなみ、小妻 容子、という画号をつけ
緊縛画 責め絵の世界へと入り込んでいく。
異端でありながらも高い美意識と培った画力で、
読者の支持を拡げていった。
そんな折、新たな雑誌の立ち上げで表紙画の依頼をめぐり
先輩画家と競う機会を与えられる。
アイディアを凝らし、当時の点描画法での女性に刺青を描き入れた
事で絵にインパクトをもたらし、選ばれて採用され表紙を飾った。
これを機に刺青文化にも傾倒していく事となる。
その後、小妻 容子、の子の字を取って要に変えた、小妻 要。
二つの画号を使い分け、風俗、風刺、サスペンス等、多様なジャンルに
対応し描き続ける。
刺青画の表現も更に模索していき、国内外の刺青師との交流で
研鑽を積み、その世界観を深め高めていく。
自身の創造で刺青を描く他、本物の刺青を背負った女性もモデルにし
虚実混ぜ合わせそれを、ある時は華麗かつ毒々しく、ある時は
淫靡で妖艶な縛り姿と、刺青美人画というジャンルを確立していく。
彫師や愛好家からも下絵の依頼も受け、英雄、豪傑、神仏、神獣、
伝記、伝説など日本刺青の伝統的な題材も手がけた。
刺青画に小妻あり一 永きに渡りその存在を知らしめてきたが、
晩年頃は元来の日本画家としての才腕を発揮。
絵絹に描いた本画のジグソーパズルを始め、タペストリー、トラック、
スノーボード